東アジアではNIES諸国、ASEAN諸国、中国と経済成長が加速し、「アジアの奇跡」と呼ばれました。しかし、一九九七年七月にタイで起きた通貨危機は、極めて短期間にアジアの他諸国に波及し、深刻な被害を与えました。インドネシアでは政権が転覆し大きな混乱を招きましたが、韓国では財閥グループや金融機関の信用問題に発展し外貨の流動性危機につながりました。アジア通貨危機の原因としては、以下の点があげられます。第一は、大半の諸国が米ドルに事実上ペッグする通貨制度を取っていたことがあげられます。これは直接投資を呼び込む上では有効でしたが、不安定な大量の資本流入を招き、その流出が危機のきっかけとなりました。タイにおいては、BIBFと呼ばれるオフショア勘定を介して大量の短期資本が流れ込みこれがバーツ建ての株式、不動産への投資に向かっていましたが、短期間で資本流失につながりました。第二は、企業統治が十分なレベルに達していませんでした。短期資本が流出する際にバーツの対米ドル相場が下落すると、企業向けの融資を回収しようという動きが強まりました。企業の財務内容等についての開示も進んでおらず投資家や金融機関が株式売却や融資の回収に向かうきっかけとなりました。加えて、企業に融資を行っていた地場金融機関の審査能力も十分ではなく、これを監督する金融当局のプルデンシャル規制にも改善すべき余地が多々ありました。アジア通貨危機に特徴的だったのは、それまで八〇年代や九〇年代前半中南米で起きたような、政府部門が大きな赤字を計上するといったことがなかったことです。経済のファンダメンタルズはむしろ好調で、問題があるとすれば公的部門ではなく民間部門と考えられました。タイは、タイバーツの切り下げを容認し、枯渇した外貨準備を補おうと、先進諸国やIMFからの借り入れを求めましたが、九七年八月に東京で行われた支援国会合で支援が決定されました。その後、IMFはタイに対して、財政支出を抑え高金利政策をとるように求めましたが、タイ国内で景気後退を招いた他、前に中南米他で実施した政策を機械的にアジアに適用するものとの批判を招き、結局IMFも方針を転換しました。